アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れて(1)施設の概要

Bonjour à tous.
アンサンブルフランス語講師のDaisukeです。

皆さんはパリと聞くと
お洒落できらびやか、華やかなイメージをすると思います。

しかし、そんなパリにも、かつて長く続いた
暗い時代があったことは、あまり語られません。

今回は、フランスの歴史にも重要にかかわっている
施設を訪れてきましたので、ご紹介します。

アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所




ARBEIT MACHT FREI (仕事をすれば自由になれる)と書かれた門

アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所とは、
第二次世界大戦中に、ナチス・ドイツによって行われた
人種差別による絶滅政策(ホロコースト)や強制労働によって
史上最も多くの犠牲者を出した収容所のことです。

1940年6月14日から1945年1月27日までの
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所存続期間中、
少なくともおよそ130万人が収容されました。

収容された人の内、90%にあたる110万人がユダヤ人ですが、
その他にも、14万人のポーランド人、ロマやチェコ人、
ウクライナ人など多くの一般市民、ソ連軍捕虜、政治犯、
エホバの証人や同性愛者なども収容されました。

ポーランド南部の都市、クラクフ(Kraków、仏名Cracovie)から
西へバスか電車で約1時間半のところにあります。




Google Mapより引用 オシフィエンチムというのがアウシュビッツがある場所です。

アウシュビッツ(Auschwitz)というのは、
強制収容所があるオシフィエンチム(Oświęcim)市のドイツ語名で、
ビルケナウ(Birkenau)は、同じく絶滅収容所がある
ブジェジンカ(Brzezinka)村のドイツ語名です。

現在は、ポーランド国立アウシュビッツ=ビルケナウ博物館
(Państwowe Muzeum Auschwitz-Birkenau)として
管理されています。

1979年に「アウシュビッツ=ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所」
として世界遺産に負の遺産として登録されました。




有刺鉄線の向こう側がアウシュビッツ強制収容所です。

アウシュビッツ強制収容所は
・アウシュビッツ第一強制収容所(基幹収容所)(AuschwitzⅠ)
・アウシュビッツ第二強制収容所 ビルケナウ (AuschwitzⅡ Birkenau)
・アウシュビッツ第三強制収容所 モノヴィッツ (AuschwitzⅢ Monowitz)
の3つの収容所からなっていて、
博物館として見学できるのは、第一と第二収容所です。

第一強制収容所では、
当時の収容された人達の遺品などが展示されています。

基本的にはフラッシュを使わなければ撮影は可能ですが、
一部、地下施設や人体の一部が展示されている場所では
死者への敬意から、撮影が禁止されています。




焼却炉と煙突は復元されたものですが、ガス室そのものは当時のままです。

このガス室では一日に340名の死体を焼却することができました。
内部はフラッシュを使わなければ写真撮影は可能です。




この空間で多くの人が毒ガスにより殺害されました。




実際に使われた毒ガスの大量の空き缶が展示されています。

敷地内は特に見学順路は決まっていないため、
立ち入りが禁止されている建物を除き、
全て自由に見学することができます。




死の壁。ドイツ軍によって破壊されましたが、戦後に復元されました。

この壁の前で、数千人もの人が銃殺刑に処されました。
通称「死の壁」
最低でも5000人以上が処刑されたことは分かっていますが、
連行され処刑されたポーランド人やソ連の捕虜などの数は分かっていません。

博物館はヨーロッパやイスラエルからの学生が歴史を学習するために
数多く訪れていて、みな真剣な表情で展示を見て回っていました。

今回は施設の概要と第一収容所の一部をご紹介しました。
次回も引き続きご紹介したいと思います。

 

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